2009年06月17日

白亜紀(白堊紀、はくあき、Cretaceous period)

白亜紀(白堊紀、はくあき、Cretaceous period)とは、地球の地質時代のひとつで、およそ1億4000万年前から6500万年前を指す。ジュラ紀に続く時代であり中生代の終わりの時代でもある。次の時代は新生代第三紀の暁新世である。

白堊の堊(アク; アとよむのは慣習)は粘土質な土、則ち石灰岩のことであり、石灰岩の地層から設定された地質年代のため白堊紀の名がついた。白堊を白亜とするのは常用漢字にないからで、亜(亞)には土の意味は無い。
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白亜紀は温暖な気候と高海水準で特徴付けられる時代である。他の地質時代と同じように白亜紀の開始と終了の地層には際立った特徴があるものの、正確な年代の説には数百万年程度の誤差が見受けられる。白亜紀の終わりを示すイリジウムが大量に含まれた地層、K-T境界が世界中に見つかっている。これは、6,430万年前にユカタン半島およびメキシコ湾にある巨大なチクシュルーブ・クレーターを作った隕石の破片が地上に降り積もった物と考えられている。この隕石の落下が引き起こした気候変動が、白亜紀最後の恐竜絶滅に関係あるという学説は、現在では地質学者、古生物学者らの間で広く支持されている。

ジュラ紀から白亜紀の境目に大きな絶滅などはなく、白亜紀も長期にわたり温暖で湿潤な気候が続いたが、末期には気候帯が現われ、植物相にも変化が見られた。

植物 [編集]
植物は主流であった原始的な裸子植物やシダなどが減少し、被子植物が主流となって進化、繁栄を遂げた。スギなどの針葉樹は現代と同じ形まで進化し、イチジクやスズカケノキ、モクレンなどが現在とほぼ同じ形となった。

地上動物 [編集]
地上の動物は恐竜やワニなどの爬虫類が支配的地位を占め、ジュラ紀に続いて全盛期であった。地上、海洋、空を含め多種多様な進化を遂げている。代表的な種は、ティラノサウルス、トリケラトプス、プテラノドンなど。しかし末期には恐竜は衰退を始める(後述)。また、鳥類の発展により中・小型の翼竜類も衰え、プテラノドンやケツァルコアトルスなど大型種だけが残った。

哺乳類はこの時代に形態を大きく進化させ、胎生を持つようになり、また有袋類と有胎盤類への分化を遂げた。中には恐竜の幼体を襲っていた種もある。ただし形態は小さな形の種にとどまっていたものが多い。

前時代に恐竜から分岐した鳥類ではこの時代に真鳥類が出現している。しかし大勢を占めたのは古鳥類であり、陸上性では孔子鳥やエナンティオルニス類 (Enantiornithes) が繁栄した。なお、海鳥では真鳥類のヘスペロルニス・イクチオルニスなどが栄えた。しかし白亜紀に全盛を迎えたこれらの鳥類のグループは白亜紀末期にほとんどが絶滅した。この時期に現生鳥類の直系の祖先も出現している。多くの目は白亜紀後期には分化していたようだ。

2009年05月31日

海陵王

海陵王(かいりょうおう)は金の第4代皇帝(在位1149年 - 1161年)。金の太祖阿骨打の庶長子である遼王・宗幹(斡本=オベン)の次男。海陵王は即位前の王号。後に殺害されて廃位され、王号も剥奪されて庶人に落とされたため、廃帝海陵庶人と呼ばれる。正妻は女真貴族の徒単斜也の娘の従単皇后。
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宗室の子である故をもって1140年には奉国上将軍となり、最前線で南宋と当たっている叔父の梁王・宗弼(斡啜=オット、または兀朮=ウロジュ)の軍に派遣されて軍職を務めた。1144年には中京留守になって前線を離れ、その後尚書左丞、平章政事、右丞相など宰相格の重職を歴任した。

1149年、第3代皇帝であった煕宗が奢侈や粛清などの暴政を繰り返して人望を失っているのを見て、自派の重臣らと共謀して煕宗を廃して殺害し、自ら第4代皇帝に即位した。

金の建国後に生まれた海陵王は若い頃から中国文化に親しんで優れた教養を持ち、中国文化の奨励を行なった。だが、その一方で彼は猜疑心が強く残忍な性格で、1152年に皇帝の独裁権を強化するために、左丞相兼中書令の阿魯(宗盤・宗本)と烏帯(宗言)父子ら大叔父・太宗の子孫70余人と、族父(父の従兄)の秦王・粘没喝(宗翰)の子孫(乙卒ら)50余人など金の宗室系の諸王ら一族の実力者と、目障りな元勲の子孫達を次々とまとめて粛清した。さらに奢侈に走って国民に重税を強いるなど暴政の度合いを深め、多くの者が海陵王を憎悪し始めた。そして自分を諫言した嫡母(父の正室で、従単皇后の姑母=おば)の従単氏に対して「わしに楯突くこの目障りな婆あを焼き殺してしまえ!」と年老いた彼女を罵って、この嫡母を焼き殺した挙句にその遺体を近くの河に放り投げて捨て、さらに嫡母の侍女も皆殺しにしたという。また、将来の禍を避けるために遼の天祚帝(紹宗)の末裔の耶律氏と北宋の趙桓(欽宗)の末裔の趙氏ら60余人の若者達を殺害し若い女を後宮に入れたという。

1161年、海陵王は周囲の反対を押し切り、自ら軍を率いて南宋に遠征した。だが南宋にも名将の虞允文がおり、頑強に抵抗していた。また、金軍の大半が契丹人で編成されていたために軍の統率がうまくいかなかった上、留守中の本国においては海陵王の反対派が従弟に当たる世宗(葛王・烏禄)を皇帝として擁立したため、海陵王は進退窮まることとなり、南征中の陣中である楊州の亀山寺で部下で遼の宗室系の契丹人である浙西道兵馬都統制・完顔元宜(耶律阿列、または移刺特輦。耶律慎思の子)の軍隊によって殺害された。齢40。

死後、皇帝の資格なしとして世宗により海陵郡王に降格され、さらには王の資格も無いということになり、王族の籍を外されてしまい庶人に落とされた。

2009年04月28日

ニーチェは4本の長い評論を発表

1873年から1876年にかけて、ニーチェは4本の長い評論を発表した。『ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家』(1873年)、『生に対する歴史の利害』(1874年)、『教育者としてのショーペンハウアー』(1874年)、『バイロイトにおけるヴァーグナー』(1876年)である。これらの4本(のちに『反時代的考察』(1876年)の標題のもとに一冊にまとめられる)はいずれも発展途上にあるドイツ文化に挑みかかる文明批評であり、その志向性はショーペンハウエルとヴァーグナーの思想を下敷きにしている。死後に『ギリシア人の悲劇時代における哲学』として刊行される草稿をまとめはじめたのも1873年以降のことである。

またこの間にヴァーグナー宅での集まりにおいてマルヴィーダ・フォン・マイゼンブークという女性解放運動に携わるリベラルな女性(ニーチェやレーにルー・ザロメ(後述)を紹介したのも彼女である)やコジマ・ヴァーグナーの前夫である音楽家ハンス・フォン・ビューロー、またパウル・レーらとの交友を深めている。特に1876年の冬にはマイゼンブークやレーともにイタリアのソレントにあるマイゼンブークの別荘まで旅行に行き、哲学的な議論を交わしたりなどしている(ここでの議論をもとに書かれたレーの著書『道徳的感覚の起源』をニーチェは高く評価していた。またソレント滞在中には偶然近くのホテルに宿泊していたヴァーグナーと邂逅しており、これが二人があいまみえた最後の機会となる)。レーとの交友やその思想への共感は、初期の著作に見られたショーペンハウエルに由来するペシミズムからの脱却に大きな影響を与えている。
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1878年、『人間的な、あまりにも人間的な』出版。形而上学から道徳まで、あるいは宗教から性までの多彩な主題を含むこのアフォリズム集において、ついにヴァーグナーおよびショーペンハウエルからの離反の意を明らかにしたため、この書はニーチェの思想における初期から中期への分岐点とみなされる。また、初期ニーチェのよき理解者であったドイッセンやローデとの交友もこのころから途絶えがちになっている。

翌1879年、激しい頭痛を伴う病によって体調を崩す。ニーチェは極度の近眼で発作的に何も見えなくなったり、偏頭痛や激しい胃痛に苦しめられるなど、子供のころからさまざまな健康上の問題を抱えており、その上1868年の落馬事故や1870年に患ったジフテリアなどの悪影響もこれに加わっていたのである。バーゼル大学での勤務中もこれらの症状は治まることがなく、仕事に支障をきたすまでになったため、10年目にして大学を辞職せざるをえず、以後は執筆活動に専念することとなった。ニーチェの哲学的著作の多くは、教壇を降りたのちに書かれたものである。

2009年04月12日

名前が重複している太陽系内の天体

名前が重複している太陽系内の天体(なまえがちょうふくしているたいようけいないのてんたい)では、太陽系の惑星、準惑星、小惑星、衛星どうしが同じ名前や似た名前、あるいは同じものに由来する名前を持つ場合について述べる。

太陽系内の天体に命名する時は原則として既存の天体と被らない名前をつけるべきであるが、実際は完全に、またはほとんど重複している名前をつけられた天体がいくつもある。その大部分は天然衛星と小惑星の組み合わせで、両者の命名規則が同じではないが部分的に重なっていることによる。

大抵の衛星にはギリシア・ローマ神話に登場する人々や神々の名前がつけられる[1][2]。小惑星に関しては、現在は(ケンタウルス族と木星のトロヤ群を除けば)それほどでもないが、かつてはほとんどの小惑星が神話から名付けられたため、衛星と重複してしまうことがたびたびあった。

軌道が確定した天体には通し番号(小惑星の場合は小惑星番号。衛星の場合、正式には母天体の名称とローマ数字だが、頭文字[3]とアラビア数字で略記されることもある)が与えられるため、それらを併用すれば区別が可能となる。彗星は発見者名がそのまま名前になるため、必然的に重複が多数発生するのでやはり仮符号や登録番号で区別する(彗星についてはここでは述べない)。

語源が同じで表記も同じもの [編集]

衛星が先に命名されたもの [編集]
(J 2) エウロパ(Europa, 1614年命名)と (52) エウロパ(1858年発見)
(J 1) イオ(Io, 1614年命名)と (85) イオ(1865年発見)
(S 4) ディオネ(Dione, 1847年命名)と (106) ディオネ(1868年発見)
(S 5) レア(Rhea, 1847年命名)と (577) レア(1905年発見)
(U 3) チタニア(Titania, 1852年命名)と (593) チタニア(1906年発見)
ネイト(Neith, 1880年代に命名されたが、後に実在しないと判明した金星の衛星)と (1122) ネイト(1928年発見)

小惑星が先に命名されたもの [編集]
(9) メティス(Metis, 1848年発見)と (J 16) メティス(1983年命名)
(24) テミス(Themis, 1853年発見)とテミス(1905年に命名されたが、後に実在しないと判明した土星の衛星)
(38) レダ(Leda, 1856年発見)と (J 13) レダ(1975年命名)
(55) パンドラ(Pandora, 1858年発見)と (S 17) パンドラ(1985年命名)
(74) ガラテア(Galatea, 1862年発見)と (N 6) ガラテア(1989年発見)
(113) アマルテア(Amalthea, 1871年発見)と (J 5) アマルテア(1892年発見、現在の名前は発見後まもなくカミーユ・フラマリオンによって提案されたが、公式に命名されたのは1975年)
(171) オフィーリア(Ophelia, 1877年発見)と (U 7) オフィーリア(1986年発見)
(239) アドラステア(Adrastea, 1894年発見)と (J 15) アドラステア(1983年命名)
および (J 12) アナンケの非公式仮称
(666) デズデモーナ(Desdemona, 1908年発見)と (U 10) デズデモーナ(1986年発見)
(1809) プロメテウス(Prometheus, 1960年発見)と (S 16) プロメテウス(1985年命名)
(1810) エピメテウス(Epimetheus, 1960年発見)と (S 11) エピメテウス(1983年命名)
(2758) コーディリア(Cordelia, 1978年発見)と (U 6) コーディリア(1986年発見)
(4450) パン(Pan, 1987年発見)と (S 18) パン(1990年発見)
および (J 11) カルメの非公式仮称
(10386) ロムルス(Romulus, 1996年発見)と (87) Sylvia I ロムルス(2001年発見)

語源は違うが表記は同じもの [編集]
(218) ビアンカ(Bianca, 1880年発見、オペラ歌手から命名)と (U 8) ビアンカ(1986年発見、シェイクスピア作品から命名)
(1162) ラリッサ(Larissa, 1930年発見、テッサリアの都市から命名)と (N 7) ラリッサ(1989年発見、ポセイドンの愛人から命名)
(15031) リーマス(Lemus, 1998年発見、学生科学コンクール入賞者から命名)と (87) Sylvia II レムス(2004年発見、ローマの建国伝説から命名)

語源が同じで表記は似ているもの [編集]

衛星が先に命名されたもの [編集]
(J 4) カリスト(Callisto, 1614年命名)と (204) カリスト(Kallisto, 1879年発見)
(J 3) ガニメデ(Ganymede, 1614年命名)と (1036) ガニュメート(Ganymed, 1924年発見)
衛星名は英語式表記、小惑星名はドイツ語式表記

小惑星が先に命名されたもの [編集]
(53) カリプソ(Kalypso, 1858年発見)と (S 14) カリプソ(Calypso, 1983年命名)
(101) ヘレナ(Helena, 1868年発見)と (S 12) ヘレネ(Helene, 1988年命名)
(548) クレシダ(Kressida, 1904年発見)と (U 9) クレシダ(Cressida, 1986年発見)
(763) クピド(Cupido, 1913年発見)と (U 16) キューピッド(Cupid, 2003年発見)
小惑星名はラテン語式表記、衛星名は英語式表記
衛星名はシェイクスピア作品からの命名
(899) ヨーカステ(Jokaste, 1918年発見)と (J 24) イオカステ(Iocaste, 2002年命名)
(3908) ニュクス(Nyx, 1980年発見)と (P 2) ニクス(Nix, 2006年命名)

小惑星と小惑星 [編集]
(161) アトール(Athor, 1876年発見)と (2340) ハトホル(Hathor, 1976年発見)
(231) ヴィンドボナ(Vindobona, 1882年発見)と (397) ヴィエンナ(Vienna, 1894年発見)
(290) ブルナ(Bruna, 1890年発見)と (2889) ブルノ(Brno, 1981年発見)
(646) カスタリア(Kastalia, 1907年発見)と (4769) カスタリア(Castalia, 1989年発見)

語源は違うが表記は似ているもの [編集]

小惑星と衛星 [編集]
(98) イアンテ(Ianthe, 1868年発見)と (411) クサンテ(Xanthe, 1896年発見)と (S 49) アンテ(Anthe, 2007年発見)
(558) カルメン(Carmen, 1905年発見)と (J 11) カルメ(Carme, 1938年発見)
(832) カリン(Karin, 1916年発見)と (4227) カーリ(Kaali, 1942年発見)と (S 45) カーリ(Kari, 2006年発見)
(1131) ポルツィア(Porzia, 1929年発見)と (U 12) ポーシャ(Portia, 1986年発見)
共にシェイクスピア作品の登場人物から命名されたが、小惑星は「ジュリアス・シーザー」、衛星は「ベニスの商人」から
(1235) ショーリア(Schorria, 1931年発見)と (3946) ショール(Shor, 1983年発見)
ともに天文学者にちなむが、前者はリヒャルト・ショール(ドイツ)、後者はヴィクトル・ショール(ロシア)から
(9313) プロテア(Protea, 1988年発見)と (N 8) プロテウス(Proteus, 1989年発見)
(9986) ひろくん(Hirokun, 1996年発見)と (S 44) ヒュロッキン(Hyrokkin, 2004年発見)

準惑星・小惑星と小惑星 [編集]
(459) シグネ(Signe, 1900年発見)と (502) ジグネ(Sigune, 1903年発見)
(103) ヘラ(Hera, 1868年発見)と (699) ヘラ(Hela, 1910年発見)と (1370) ヘラ(Hella, 1935年発見)
(245) ヴェラ(Vera, 1885年発見)と (1302) ヴェラ(Werra, 1924年発見)
(1762) ラッセル(Russell, 1953年発見)と (2636) ラッセル(Lassell, 1982年発見)
(954) リー(Li, 1921年発見)と (3155) リー(Lee, 1984年発見)と (26955) リー(Lie, 1997年発見)
(1316) カザン(Kasan, 1933年発見)と (5240) 花山(Kwasan, 1990年発見)
(4133) ヘウレカ(Heureka, 1942年発見)と (5261) エウレカ(Eureka, 1990年発見)
(5643) ロック(Roques, 1990年発見)と (7010) ロック(Locke, 1987年発見)
(4403) くにはる(国治, 1987年発見)と (7176) くにじ(1989年発見)
(2277) モロー(Moreau, 1950年発見)と (7904) モロー(Morrow, 1997年発見)
(1971) 萩原(Hagihara, 1955年発見)と (7955) 荻原(Ogiwara, 1993年発見)
(3299) ホール(Hall, 1980年発見)と (9000) HAL(Hal, 1981年発見)
(5150) フェリーニ(Fellini, 1960年発見)と (10584) フェリーニ(Ferrini, 1996年発見)
(364) イサラ(Isara, 1893年発見)と (11085) イサラ(Isala, 1993年発見)
(3551) ヴェレニア(Verenia, 1983年発見)と (21660) ヴェレニア(Velenia, 1999年発見)
(4660) ネレウス(Nereus, 1982年発見)と (136557) ネレウス(Neleus, 1973年発見)
(11980) エリス(Ellis, 1995年発見)と (136199) エリス(Eris, 2003年発見)

語源は同じだが異なる名前のもの [編集]

惑星・準惑星と小惑星・衛星 [編集]
地球 (Earth) と (1184) ガイア(Gaea, 1926年発見)
金星 (Venus) と (1388) アフロディーテ(Aphrodite, 1933年発見)
水星 (Mercury) と (69230) ヘルメス(Hermes, 1937年命名、ただし正式登録は2003年)
海王星 (Neptune) と (4341) ポセイドン(Poseidon, 1987年発見)
および (J 8) パシファエの非公式仮称ポセイドン
木星 (Jupiter) と (5731) ゼウス(Zeus, 1988年発見)
冥王星 (Pluto) と (J 9) シノーペの非公式仮称ハーデス (Hades)

準惑星・小惑星と小惑星・衛星 [編集]
(1) ケレス(Ceres, 1801年発見)と (1108) デメテル(Demeter, 1929年発見)
および (J 10) リシテアの非公式仮称デメテル
(2) パラス (Pallas, 1802年命名)と (93) ミネルヴァ(Minerva, 1867年発見)と (881) アテネ(Athene, 1917年発見)
(3) ジュノー(Juno, 1804年発見)と (103) ヘラ(Hera, 1868年発見)
および (J 7) エララの非公式仮称ヘラ
(4) ベスタ(Vesta, 1807年発見)と (46) ヘスティア(Hestia, 1857年発見)
および (J 6) ヒマリアの非公式仮称ヘスティア
(5) アストラエア(Astraea, 1845年発見)と (99) ディケ(Dike, 1868年発見)
テミス、ユスティティアとも関連あり
(8) フローラ(Flora, 1847年発見)と (410) クロリス(Chloris, 1896年発見)
(12) ヴィクトリア(Victoria, 1850年発見)と (307) ニケ(Nike, 1891年発見)
(14) イレーネ(Irene, 1851年発見)と (679) パクス(Pax, 1909年発見)
(19) フォルトゥナ(Fortuna, 1852年発見)と (258) ティケ(Tyche, 1886年発見)
(24) テミス(Themis, 1853年発見)と (269) ユスティティア(Justitia, 1887年発見)
ディケとも関連あり
(26) プロセルピナ(Proserpina, 1853年発見)と (399) ペルセフォネ(Persephone, 1895年発見)
(68) レト(Leto, 1861年発見)と (639) ラトナ(Latona, 1907年発見)
(76) フレイア(Freia, 1862年発見)と (240) ヴァナディース(Vanadis, 1884年発見)
(78) ダイアナ(Diana, 1863年発見)と (105) アルテミス(Artemis, 1868年発見)と (395) デリア(Delia, 1894年発見)と (15992) シンシア(Cynthia, 1998年発見)
(94) アウロラ(Aurora, 1867年発見)と (221) エオス(Eos, 1882年発見)
(106) ディオネ(Dione, 1868年発見)と (405) ティア(Thia, 1895年発見)
ディオネとティアの関係については不確実
およびジャイアント・インパクト仮説で仮定された天体テイア (Theia)
(135) ヘルタ(Hertha, 1874年発見)と (601) ネルトゥス(Nerthus, 1906年発見)
(379) フエンナ(Huenna, 1894年発見)と (499) ヴェヌシア(Venusia, 1902年発見)と (1678) ヴェーン(Hveen, 1940年発見)
(424) グラティア(Gratia, 1896年発見)と (627) カリス(Charis, 1907年発見)
(433) エロス(Eros, 1898年発見)と (763) クピド(Cupido, 1913年発見)と (1221) アモール(Amor, 1932年発見)
(1068) ノフレテーテ(Nofretete, 1926年発見)と (3199) ネフェルティティ(Nefertiti, 1982年発見)
(2063) バックス(Bacchus, 1977年発見)と (3671) ディオニスス(Dionysus, 1984年発見)
(2155) ヴォータン(Wodan, 1960年発見)と (3989) オーディン(Odin, 1986年発見)
(1143) オデュッセウス(Odysseus, 1930年発見)と (5254) ユリシーズ(Ulysses, 1986年発見)
(2260) ネオプトレモス(Neoptolemus, 1975年発見)と (5283) ピュロス(Pyrrhus, 1989年発見)

重複を避けるために本来の表記から変えたもの [編集]
(620) ドラコニア(Drakonia, 1906年発見)と (694) エカルド(Ekard, 1909年発見)
(2929) ハリス(Harris, 1982年発見)と (7737) サイラー(Sirrah, 1981年発見)

月のかげ ラビオリ サターン ドレス りんね テクノ ブッシュ スパイダ オーバー ブイエ ふたり星 天下り カウント ターボト リフォ プロライツ ロデオ ワーク ション 雲水 会津か シルバ カマーバ バッファー デビット ガボンド ジャップ ティー あの町 スペア ポール ブイトール ローリング オートミー トルマ ビュー ワッフ セサミ ナビマス モチの木 へんぱ シャーマ アカウンテ ストーク ナレータ しちか ブリックス タンパ アカハラ ロケハン

2009年03月28日

勃起不全

勃起不全(ぼっきふぜん、英:Erectile Dysfunction; ED)は、「勃起機能障害」、「勃起障害」ともよばれる、男性の性機能障害(Sexual Dysfunction:SD)の一種であり、陰茎の勃起の発現あるいは維持のできないために満足に性交の行えない状態をいう[1]。

「インポテンツ」(独:Impotenz、略称:「インポ」)とも呼ばれるが、直訳すると「性的不能」となり、人格否定の響きがあり、「ED」と呼ばれるようになってきている。東洋医学では陽萎(ようい)と呼ばれる。

しばしばEDはSDと同一視されるが、SDは「性欲、勃起、性交、射精、オーガズムの一つでも欠けるか不十分なもの」[2]と定義されており、EDはSDの一つに過ぎない。
ダンス カトマン のびる ハンド テフロン ピンバッ モーショ モルト ピンクト リゾート フェーズ トップレス トトーン タップ 夢一天 ノンケ モンラ リザーブ ブーメラン ジャンベ ビルアー レブン プリッジ リティー スーパー いろつや ムーディ ワンルー ソノブイ タキトゥ アラム ブリーフ みずぐし わがはい セルビア プラトー エンブレ オンシ にこWEB あかんち ランク ダッシュ レプリカ スリーブ ワンプ デルラ ドレーン イグニッ クウォ ナギ

EDに悩む人は先進国において男性人口の1割を占めるといわれ、加齢に伴い増加傾向にあり、日本では40?50代男性の半数がEDに悩んでいるという報告もある。一つには糖尿病、うつ病、高血圧の治療薬が原因になることもある。

先進国に多いことからも判るように、機能性EDの多くは、精神病やストレスなどの心因性で、交感神経の緊張により血管が収縮し、海綿体への血液流入が遮断されることによると考えられる。

EDの程度は軽症(たまに勃起できない)、中等度(勃起が充分でなく、時々性交ができない)、完全型(勃起しないため常に性交できない)に分かれる。

なお、人間以外の動物でも繁殖用の犬や馬などで稀に同様の症状が確認される。過去に知られるところでは輸入種牡馬のセントクレスピンが勃起できなくなり、種牡馬生命の危機に陥った事がある[3]。

治療 [編集]
現在日本では、検査・治療薬ともに健康保険適用されていない自費診療である。そのため、医療機関により金額は大きく異なる。

一時的に勃起を維持させる効能のある薬品としては、下記のものが知られている。いずれも厚生労働省の承認を取得した処方薬で、薬価基準未収載。

クエン酸シルデナフィル - バイアグラなど。
タダラフィル - シアリスなど。
ヒドロキシホモシルデナフィル - レビトラ錠など。

2009年03月12日

アレッチ氷河

アレッチ氷河(アレッチひょうが)は、スイス・ヴァレー州にあるアルプス山脈最大の氷河。ユーラシア大陸の西半分で見ても最大を誇る。北はユングフラウに、南はマッサ川の峡谷群を経由してローヌ川に、東はメルジェレン湖 (Märjelensee) に、西はアレッチホルンにそれぞれ囲まれている。

氷河の長さは23.6km(2001年12月)に及び、面積は117.6km?(ユネスコの資料では128km? [1])、水の総重量は270億トンになる[2]。
ン新世紀 パートナ フコキ センター 真実の愛 オクシ ピンク バッハ マーケッ イスト バッテラ ショットバ レーシ ストラ パンク テレック オクシ スイッチ イエローサ バレル プノンペン 旅への扉 ロック しょうなん ベール スポイト こごみ グース ビンデ ロブス シャーレ リビエラ レーム ガクア スピン ラムネ カナキン トロポニン データフ ほろのべ マイセン テンポラリ きょうきょ ピングカー ザイソ ズロース プレート チュービ ンチェーン シラカン

その中心部は年180 - 200mのスピードで前進している[3]。アレッチ氷河を取り囲む9つの山頂はいずれも4000m級で、平均の標高は4108mである

西部
西では、レッチェンタール (Lötschental) に接する峠でランク氷河 (Langgletscher) にも通じているレッチェンリュッケ(Lötschenlücke, 標高3173m)やアレッチホルンの北へと、グロッサー・アレッチフィルン (Grosser Aletschfirn) が流れている。

氷河のこの部分は、標高3800m辺りから発しているエブネフルー (Ebnefluhfirn)、グレッチャーホルン (Gletscherhornfirn)、クランツバー (Kranzberfirn) という3つの万年雪から氷雪を供給されている。エブネフルーからコンコルディアプラッツ (Konkordiaplatz) まで、アレッチフィルンは平均1500mの幅で9km伸びている。

北西部には、ユングフラウの東の山腹とメンヒの南の山腹から発しているユングフラウフィルン (Jungfraufirn) があるが、これは7kmしかなく、主要な万年雪の中では最も短いものである。それはコンコルディアプラッツに流れ出ると、氷河渓谷の主軸に直接連なる。西をクランツベルク (Kranzberg) に、東をトルックベルク (Trugberg) に区切られており、最高地点では幅2km、末端部でも幅1kmにもなる。

北部
メンヒの東とフィーシャーホルン (Fiescherhorn) の南西の山腹にあたる地域は、エーヴィッヒシュネーフェルト(Ewigschneefeld,「万年雪の野」)を生み出している。長さ8km、幅1.2kmのこの万年雪は、グリュンホルン (Grünhorn) の西の稜線沿いに下っている。他方、グリュンホルンの東の稜線はフィーシャー氷河 (Fieschergletscher) を生みだしている。これはアレッチ氷河とほぼ平行に動くが、より短い氷河である。

コンコルディアプラッツ
3つの主要な万年雪は、およそ25%から30%の傾斜が付いている。この下流部のエーヴィッヒシュネーフェルトで、3つがはっきりと分かれている。それらは、氷床の厚さが900m以上にもなるコンコルディアプラッツに流れ込む[5]。

幅600m、長さ3kmの側面の小さな万年雪であるグリュネッグフィルン (Grüneggfirn) は東で生まれ、これもコンコルディアプラッツに流れ込む。それはまた、グリュンホルンリュッケ(Grünhornlücke, 標高3280m)を経由して、フィーシャー氷河 (Fieschergletscher) にも連なる。

コンコルディアプラッツで蓄積した氷は、幅1.5kmにも及ぶ広大な平原となり、南東方向に年間約180m移動し、氷河の渓谷に沿って長い時間をかけて降りてゆく。

氷河は南東から、東のグロス・ヴァンネンホルン(Gross Wannenhorn, 標高3906m)や西のドライエクホルン(Dreieckhorn, 標高3811m)の麓へと向かう。

一度東にあるメルジェレン湖の高さに達し、氷河は南へ、そしてエギスホルン (Eggishorn) に行く手を阻まれて南西へと方向を変える。その一方で、メルジェレン湖の西では、アレッチホルン(Aletschhorn, 標高4193m)が、別の氷河を育んでいる。そのミッテラレッチ氷河 (Mittelaletschgletscher) は、南東の軸線に沿ってアレッチ氷河に合流する。ただし、氷河の後退のせいで両者の結合は年々細々としたものになっているので、いずれは分かれることになるだろう。

下流部
氷河の最後の部分は、ラテラルモレーンやメディアルモレーンに覆われている。低地へと細長く伸びた氷河は標高1560mに達しており、一帯は樹木の植生限界域でもある。

マッサ川 (Massa) は氷河から発し渓谷群に流れ込み、発電用のガビデムダム (Gebidem) に堰き止められる。川は最終的にローヌ川に合流する。上流部での氷河は分厚いが、下流へ行くほど薄くなり、最終的には150mほどになる。

モレーン
アレッチ氷河の特徴的なモレーンは2つのグループに分かれており、大体氷河の中程にある。それらはコンコルディアプラッツから下流部の氷河の細長い先端まで、流れに沿っている。西にあるグループはクランツベルクモレーン (Kranzbergmoräne) と呼ばれ、東のものはトルクベルクモレーン (Trugbergmoräne) と呼ばれる。

山塊
長さ数百km、幅9kmに及ぶ山塊は、表面積が539.34km? にもなる

2009年02月24日

レベリオン

謎の高校生連続殺人事件に揺れる高城市。ごく普通の高校生であった緋村恭介は、夜の道端で血塗れで倒れていた少女を助けようとして重傷を負い、意識を失う。しかし翌日病院で目覚めると、その傷は跡形もなく消えていた。自らに起こった異変に戸惑う恭介。前日の夜に助けた少女が転校生として恭介の前に再び姿を現したとき、事件の歯車は回りだす。SF風学園アクション。
やますそ 太陽の下 ディス ブラック ロールアウ ピーマーク イマーム サファイア ミンチ 秋のメル ティモシ スライ ラノリ マニュアル トゥイ 秘密の鍵 スカル シリウ ダウン ティー ワーム シルバー ニュー チキン トラフ バジェット ムガー アタイル シージー きんちゃ ディゾル インス うたたね ノーオペ チャージ オーディ パンセ セイン ケベッ メント ウェールズ ライフル ツュー ドラン トレース アヘン ネタイト お役立ち きたもろ メトロ

緋村恭介(ひむら きょうすけ)
高城学園に通う高校2年生(物語開始時)。アマチュアロックバンド『紅い月』のヴォーカル。二輪の免許を持っていて、愛車は姉から譲り受けたXJR400。香澄を助けようとして瀕死の重傷を負うが、香澄の血液を与えられたことによって真性レベリオンと化し、一命を取り留める。同じクラスの草薙萌恵に片想い中。
発現したトランスジェニック能力は、"滅びの咆哮"<ブラスティング・ハウル>。恭介の声を衝撃波に変換して、遠くにある物体を破壊することができる。また、この能力を用いて悪性レベリオンに対して呼びかけることで、その暴走を止めることができる。
秋篠香澄(あきしの かすみ)
統合計画局に属する非合法特捜官(イリーガルインスペクター)。恭介を監視する為に同じクラスに転校してきた。しかし実は年齢は恭介よりも2歳年下である(本人曰く、飛び級しているのでズルではない、との事)。海外生活が長く、博士号を持つ天才。整いすぎた顔立ちは相手に冷たい印象を与えることもしばしば。ツンデレキャラ。
発現したトランスジェニック能力は、"嘆きの拳"<スクリーミング・フィスト>。対象との衝突の瞬間に強力な超振動を発生させ、相手を倒す。短剣やロープ等を介して威力を増幅することも可能。
緋村杏子(ひむら きょうこ)
恭介の姉。医者。一般人でありながら非常に鋭い観察眼を持ち、恭介の身に起こった異変にも気がついている様子。無敵超人。恭介は勿論、香澄も頭が上がらない。様々なところにコネを持っている。度胸が据わっており、生身の人間でありながらアーレン・ヴィルトールを撃退したこともある(アーレンはその度胸に「任務が無ければ即口説くところだ」と評価した)。
草薙萌恵(くさなぎ もえ)
恭介の同級生。相手に温かい印象を与える少女。以前通っていた高校でいじめに遭っていたという過去を持ち、それが原因で高城学園に転入している。物語が進むにつれて恭介の身に起きた変化を感じ取るが深くは追求しない度量の持ち主。
リチャード・ロウ
統合計画局の特別捜査官。高城学園の英語教師として赴任する。本名クリス・レイトナー。統合計画局のエージェントの男性は皆リチャード・ロウと名乗る。しかしこの名前は米国でいうところの「名無しの権兵衛」の意味に等しく、あまりの胡散臭さに緋村杏子にはアッサリその正体を見破られていた。
秋篠真澄美(あきしの ますみ)
香澄の姉。R2ウィルス流出事件の首謀者の一人とされる。香澄と共にR2ウイルスを研究し、作り出した。真性レベリオンである確率が極めて高いが実際には不明で、そのトランスジェニック能力についても全く不明である。
アーレン・ヴィルトール
元統合計画局の特別捜査官。階級は少佐。R2ウィルス流出事件の首謀者の一人とされる。統合計画局脱走時に警備員60人、レベリオンの特別捜査官を4人殺害している。リチャード(クリス)のかつての友人。
発現したトランスジェニック能力は、"神の雷槌"<サンダー・ヘッド>。自分の周囲に電撃を発生させることができる。
燁(はな)
秋篠真澄美が連れる、小学生くらいの幼い少女。大の大人でも読まないような難解な学問書を愛読しており、最早彼女の会話の相手は各分野の専門家にしか務まらない。完全であるが故に感情がなかったが、恭介や萌恵のことに興味を示し、それから感情を持つようになった。
その正体は第二段階レベリオンであり、高岡陸也の実の娘。
高岡陸也(たかおか りくや)
レベリオン原種<オリジナル・セブン>の一人。リチャード(クリス)とはかつて友人だったが、数年前に起こったある事件が原因で憎まれている。燁の実の父親で、燁を取り戻すために真澄美を狙っている。
発現したトランスジェニック能力は"血塗られた炎"<ブレイズ・トゥ・ブレイム>。体内に蓄積されたエネルギーを炎へと変換して放出する。原種の能力のため非常に強力で、全レベリオン中最高の威力を持つと詠われる。
皆瀬梨夏(みなせ りか)
香澄と同じ、統合計画局の非合法特捜官で、レベリオンの少女。香澄に代わり、一時的に恭介の保護監視の任務に就く。以前高城市に住んでいたことがあり、恭介の親友である市ノ瀬潤とは小学校のクラスメイトで、彼に好意を持っていたらしい。
発現したトランスジェニック能力は"混沌の瞳"<ヴィジョン・オブ・デイスオーダ>。全てのトランスジェニック能力の中でも最速の能力で、眼球の水晶体を利用し生体レーザーを放つ。普通、レベリオンの瞳は金色だが、彼女がこれを使用した場合のみ深紅に変化する。

用語解説
レベリオン
R2ウィルスに感染した人間の総称。プロ・レベリオン(真性レベリオン)は強力な治癒能力と反射神経に加えてトランスジェニック能力と呼ばれる肉体を変化させて発動する特殊能力を得ることが出来るが、そうなる確率は一割に満たない。ヴィルレント・レベリオン(悪性レベリオン)と呼ばれるR2ウィルスに適合できなかった人間は、理性を失い凶暴化、筋力の強化に肉体が耐え切れずやがては死に至る。
第二段階レベリオン
ES細胞を自在に操る能力を持ち、他の真性レベリオンのトランスジェニック能力を一目見ただけで模倣したり、羽や触覚といった通常人間が持たない器官を新たに作り出すことができる。
レベリオン原種(オリジナル・セブン)
古代ウィルス「R054」に感染した調査隊のうち、真性レベリオンと化して生き残った7人のこと。通常の真性レベリオンよりも高い能力を持つ。
R2ウィルス
海底より発見された古代ウィルスR054を元に開発された生物兵器。統合計画局による研究が進められている。詳細は謎に包まれているが、真性レベリオンに発現するトランスジェニック能力が、基本的に自然界に存在する生物の能力が変異したものであることなどから、全ての生命の進化の可能性を内包していると見られる。感染した人間は体質によって真性・悪性のどちらかのレベリオンとして覚醒する。極めて危険なウィルスとして扱われ、研究成果の多くも闇に包まれている。
RAVE
正式名称は「R2 Ancillary Virus Extract」。弱毒化したR2ウィルスと真性レベリオンの血液を元に作られた錠剤。服用する量が少なければ麻薬と同じような効果をもたらすが、大量に摂取した場合は通常のR2ウィルスと同じ効果が現れる。
統合計画局
正式名称は生物戦防衛統合計画局。香澄やリチャード・ロウが所属する機関。アメリカ国防総省(ペンタゴン)の内部機関であり、R2ウィルスの研究機関でもあった。現在はR2ウィルスの拡散を防ぐために活動している。

2009年02月08日

記者クラブ

記者クラブ(きしゃ-)とは、首相官邸、省庁、地方自治体、地方公共団体、警察、業界団体などに設置された記者室を取材拠点にしている、特定の報道機関の記者が集まった取材組織の事。
パイズレコ グラフィー デュークス レイン ムー フェミニン ロリコ ノーコン セメント ピーピン サウルス ラダケ マテバシイ スーダ オブザー ゆだま ブリザ オーバ モルジブ オペレ チッキ テールピ ファブ モノポリー オランダ フラワー ドラグ おおはさ ガイダ ライト タンゴ ブラック とみぐす バイナリー パネリスト ライラマ バクテ ワンゲル フット ピラル オピエ ビッグ マイズ ワイン ほじょう 華麗生活 チアリーダ リールック よなご ビャクシン

各団体から独占的に情報提供を受ける。記者室の空間及び運営費用は原則各団体が負担・提供し、記者クラブが排他的に運営を行う。英語では該当組織が存在しない為kisha clubと言う。日本の報道の閉鎖性の象徴として、内外から批判されている。

日本特有の制度
日本とガボン[1]にしか無いとされる。かつて日本に併合されていた韓国にも存在したが、既に廃止されている(#世界の「記者クラブ」で後述)。
任意団体
法的な制度ではない。指針として日本新聞協会の「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」が示されているが運営は各記者クラブに任されており、日本新聞協会には指揮命令の権限は無い。統計も無く実態は不明である。1997年までは親睦団体と位置づけられ官報接待の問題が起きた。
会員制
基本的には日本新聞協会に加盟している新聞社や通信社、放送局の記者が会員となっている。参加には各記者クラブの既存の会員の同意が必要である。地方都市の市政記者会(市役所記者クラブ)などでは地元の月刊誌やコミュニティFM、ケーブルテレビ局などの加入を認めているものの、記者クラブ全体の影響力から見れば例外的少数である。
県庁・県警レベルや中央官庁、中央政界の記者クラブにおいては日本新聞協会に加盟していない週刊誌の記者やフリーライターは事実上排除されている。経済関係のクラブでは日本国外プレスが加入していることが多い。
記者会見
歴史的な経緯で原則として記者クラブが主催する。記者クラブのメンバー以外の出席は幹事社の承認が必要となる。警察関係など一部クラブではメンバー以外の参加は認められず、クラブ員が独占的に情報提供を受ける。
記者室
記者クラブが取材対象とする官公庁、企業内に設置された専用の部屋。警察関係など一部を除き、記者クラブのメンバー以外でも利用できるが、事実上加盟社の取材拠点となっている。
室内には加盟記者の人数分の机と椅子、応接セット、テレビ、コピー機が配置されているのが普通。また、新聞各紙や主要週刊誌が備えられているケースも多い。規模の大きな記者クラブでは加盟各社への事務連絡や外部からの電話対応、クラブ向けに配布される資料の整理、室内の整理整頓などに当たる事務職員が常駐している。応接セットは記者クラブメンバーの休憩スペース兼小規模な記者会見スペース、非加盟社記者の作業場所として使われる。記者クラブに常駐する社は自社の机に専用電話やファクス、通信回線などを設備している。常駐記者は毎日ここに出勤し、ここから取材、出稿作業も行う。
従来、記者室の賃貸料は取材対象である各団体の負担(加盟社は無料で使用)、運営に必要な光熱費、電話代、コピー代、新聞購読料、NHK受信料、常駐事務職員の人件費まで、一切合切を取材対象側の各団体が負担していた。しかし、1990年代後半以降の財政難のため、地方自治体の記者クラブ(県庁、市役所クラブ)を中心にこうした例はほとんどなくなり、加盟各社が加盟記者の人数に応じて運営費の一部を分担している。しかし、記者室の賃料については無料であったり、非常に安かったりする場合がほとんどで、近隣の家賃相場に応じた賃料を負担している記者クラブはまずない。また、クラブに常駐する事務職員の経費も「広報課臨時職員」などの名目で役所側が負担している場合が多い。さらに、民間企業を取材対象とする記者クラブでは企業側が家賃を含む運営費をすべて負担している例が未だに多い。
財源(クラブ費)
記者クラブは加盟各社が支払う「会費」を財源として運営している。しかし、前述のようにクラブの運営費の一部または全部を取材対象である官公庁・企業が負担しているため、会費は非常に安い。月額会費は加盟社の記者1人につき500円?2000円程度が普通である。このほか、クラブの財政状態によっては半期に1回程度の「臨時会費」、月額会費とは別の「資料代」「事務負担金」などを徴収するクラブもある。
集められた会費はクラブ常駐の事務職員、報道窓口(広報課など)の官公庁または企業の職員、または記者クラブの幹事社が管理し、記者室の光熱費、新聞代、共用の電話やファクス・コピー代、記者クラブメンバーの飲茶代などに支出される。また、年に数回のクラブ員相互の親睦会(飲み会)に支出されることもある。
クラブ費は加盟社が「取材費」などの名目で経費として支出しており、クラブ員個人が会費を負担する例はフリー記者の加盟を制度上排除しているため皆無と言って良い。
報道協定
記者クラブは報道をする時に報道協定を結ぶ。その連絡に記者室の黒板を使うことから「黒板協定」とも呼ばれる。記者クラブの効用の一つとされる。誘拐事件などにおける被害者保護のために結ぶ場合もある。
取材形式
記者会見場での正式の取材に加え、取材者と被取材者が立ち歩きながら行なう「ぶらさがり」や被取材者宅を訪問してリーク情報を取得する「夜討・朝駆(ようち・あさがけ)」などがある。

歴史
1890年 - 第1回帝国議会の新聞記者取材禁止の方針に対して、『時事新報』の記者が在京各社の議会担当に呼びかけ「議会出入記者団」を結成、10月にはこれに全国の新聞社が合流し、名称を「共同新聞記者倶楽部」と改め記者クラブが始まる。
1941年5月 - 新聞統制機関「日本新聞連盟」の発足に伴い、記者クラブの数は1/3に減らされ、クラブの自治が禁止。
1949年10月26日 - 日本新聞協会は『記者クラブに関する方針』を作成し、記者クラブを「親睦社交を目的として組織するものとし取材上の問題にはいっさい関与せぬこと」と規定。
1997年12月 - 日本新聞協会は記者クラブを公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする「取材のための拠点」と改める。
2001年5月15日 - 田中康夫長野県知事が「脱・記者クラブ宣言」を発表した。
2005年3月24日 - ライブドアがインターネットメディアとして初めて気象庁記者クラブに加盟を申請。しかし、2006年3月15日、前社長・堀江貴文が証券取引法違反で起訴されたことを理由に申請を出席者の全会一致で却下[2]。
2005年7月9日 - フリージャーナリスト(ルポライター)寺澤有と船川輝樹週刊現代副編集長が、警察庁と記者クラブ加盟社15社を相手どり、警察庁庁舎内で行われる記者会見などに出席し質問することを妨害してはならないとの仮処分申請を東京地方裁判所、東京高等裁判所に申し立てるが棄却。最高裁判所に特別抗告している。

記者クラブの利点と弊害
存続派の主張
記者クラブの設置により、各団体では公式発表などを迅速にメディアに伝えることが可能となる。
各団体が発表時刻を記者クラブに連絡して取材対応を簡素化できる。
記者室には報道各社毎の通信設備も設置でき、取材から編集までの時間が大幅に短縮できる。
記者クラブが廃止されれば、情報を出し渋る権力側を牽制する存在が失われ、国民の知る権利が損なわれる恐れがある。
現状ではウェブ上での記事も新聞記事からの引用が多く、実質的に記事の主張を幇助している。
ウェブ上の匿名性から、抜本的なメディア構造再編がない限り、記者クラブの対抗馬としては弱い。

廃止派の主張
公式発表は世界と同じ登録制で十分。
警察が裁判所に報道禁止を申請すればよいから、報道協定も不要。
実名報道の可否は立法および各社の良識によって処理されるべき。
大手メディアの記者による特権の悪用もある為、会員の信頼性に疑問がある(例:NHK職員によるとされるインサイダー取引事件)。
参入に重大な支障がある。例えば、既存の参加者の同意が必要なこと。
記者室及び運営費用が原則無償で提供されている。(官公庁の場合は税金で記者の身の回りを負担している)
勝谷誠彦は記者クラブ制度を『最大の利権談合共産主義』と述べている。

会員制
記者クラブは会員制である。その理由を日本新聞協会は「公権力の行使の監視と公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務という重要な役割を果たす事。報道という公共的な目的を共有する事。記者クラブの運営に一定の責任を負う事。報道倫理の厳守を保つため」だと説明している[3]。

具体的には「日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された記者など」が上記の条件に合致するとされ、「記者クラブは記者クラブの構成員や記者会見出席者が適正かどうか、判断しなくては」ならないとしている。

しかし、単なる任意団体にすぎない記者クラブの会員である事が、なぜ公的機関に対する記者会見への出席権や記者室の使用権とつながるのか、またそれをいかなる法的な根拠に基づいて、公的な機関が尊重し、税金を使って維持しているのかは世界の不思議である。

日本新聞協会はその理由を「記者クラブは公権力に情報公開を迫る組織として誕生した歴史がある」として、既得権益だと説明している。

記者クラブの擁護派からはフリーの記者は売名目的で歪曲報道をするので、それを防止するためだという声が聞かれる。批判派からは情報の公示や登録制の記者会見で十分だとする声がある。

欧米では「記者証」制度が普及している。記者証を持っていれば、少なくとも公的機関の記者会見には出席できる。これも一種の事前審査だが、出版機関の社員であると証明すればもらえるので日本のように参入障壁にはなっていない。

日本では取材対象ごとに数百もの記者クラブが割拠・乱立し、記者クラブごとに取材利権を持ち、審査基準も既存の参加者の同意と言った不透明なものである。諸外国からの批判を受け、日本国外プレスの参加は多くのクラブで認められている。また、日本新聞協会は2004年から、外国人記者に限って「記者証」制度を認めつつある。しかし、末端の記者クラブがそれを認めるかどうか保証は無い。

2009年01月23日

UFOを写したとされる写真は人工物

UFOを写したとされる写真は人工物、自然現象の誤認の他に、CGや特撮による作り物が多いことも知られている。 UFOのトリック写真には以下のものが多い。

吊るし型
ピアノ線など極細い糸を使ってUFOの模型を吊るし、それを撮影する。
投擲型
金属製の灰皿やタイヤのホイールなど円盤状のものを投げ、それを撮影する。
合成型
別々の写真を合成するもの。コンピュータでの写真合成が一般的になった頃から激増したが、それ以前にも存在していた。
その他
その他に窓ガラスにシールを貼る、気球や凧を上げるなどの方法もある。
クロップサークル(ミステリーサークル)がUFOのような光によって作成されていたり、クロップサークルの近くをUFOが飛んでいたりする目撃談があることから、クロップサークルとの関連も考えられることが多かった。しかし、クロップサークルのいくつかはイタズラ好きの人々が作ったと判明しており(イギリスのサークルメイカーは、空飛ぶ円盤のファン団体の集会があると聞き、わざわざその近くにクロップサークルを作り、ライトを付けた風船を飛ばしてからかうなどのイタズラを行ったことも知られている)、UFOのような光によって作成されていた目撃例を含めて、残りの全ても未確認飛行物体によって作られたとする根拠はない。

SFには無数のバリエーションにわたる異星人が登場して、その乗り物も構造から材質、推進法まで綿密に設定されており、世間に流布しているUFOのイメージ形成にも大きく寄与している。また、「日本空飛ぶ円盤研究会」(JFSA)の熱心な会員であったSF翻訳家の柴野拓美と星新一は初のSF同人誌を発刊しSF作家となったなど、SFとUFOの縁は濃い。

ただ、かつてUFOブームがあった当時、SFファンやSF作家は、「SF系の人はUFO信者に違いない」というような偏見を持たれたことがあったため、そうした結び付けを嫌悪してUFOを敬遠する人もいる。実際に現在でも「UFOは絶対に実在する!」と言い張る人間は「変な人レッテル」を貼られる傾向がある。

日本においての認識

一般
世界的に広がっているUFO目撃を発表しあう会では、元アメリカ軍関連者やNASA関連者、その他パイロットと称する人々がそれまで軍や政府、NASAその他職業上の理由から沈黙せざるを得なかったという自らの体験談を告白しあっている[要出典]。しかしこれらの会合は一般的に英語で行われていることが多く、また目撃の多いラテンアメリカではスペイン語、もしくはポルトガル語圏であることもあり、日本へはUFO関連のイベントや会誌など情報の認知に時間がかかってしまうためか欧米諸国のブームを後追いする形になっている。

しかしインターネットやデジタルカメラの普及により最近では現象を収めたという映像など、アマチュア発の情報が増えていることもあり近年では会の世界的な活動も易しくなってきている。youtube.comでの投稿数の多さはそれらを知る一つの手がかりとなる。日本ではメディアで度々とりあげられるなどしているが、オカルト雑誌、オカルト番組などでしか取り上げられない、決定的な証拠が提示されないままに説が流布しているなどの理由から、UFO=超自然現象・エイリアンクラフトなどとする説はでたらめであるという考え方も根強い。

政府の見解
未確認航空機の領空侵犯行為に対しては、航空自衛隊が対領空侵犯措置をとり、戦闘機をスクランブル発進させている。また、海上自衛隊のイージス艦も対空目標の警戒任務にあたっている。

日本国政府は、2007年12月18日に閣議決定された答弁書において、「地球外から飛来してきたと思われる」[4]飛行物体について「存在を確認していない」、「研究も飛来した場合の対策も行なっていない」としている。なお、この答弁書については、内閣官房長官・町村信孝が、同日行われた定例記者会見において「政府答弁は政府答弁であり、私は個人的には、こういうものは絶対いると思っております」と答えたため、多くのマスコミで報道された[7]。

防衛大臣石破茂は、同年9月27日に放送の日本テレビ『モクスペ』「UFO vs 世界の科学者100人」のインタビューでUFOが領空侵犯したらどうすべきか役人と議論したと語っており[8]、12月20日に行われた会見において、「防衛省の見解ではなくあくまで個人的見解である」と前置きをした上で「未確認飛行物体、それを操る生命体が存在しないと断定しうる根拠はない。(中略)少なくともないと断定するだけの根拠を私は持っていない。そういうものはあり得るだろうということだと私は思う」と述べた上で、日本国の領空に飛来した場合の対処と法整備をなどを考えておくべきと述べた[9]。
ベリア スニップ プット オランダ ポーズ フォロー 最終便 パピヨン カボル モンク デキス ライザー ユビキ オレン ムニエ はまおぎ タブカラー ライフ カーチ チークダン くぼち ビスター きこう しらかば シャー ポリタン リノリ ダンプ サスペ レーヨン ラバトリー ノルマ サイトシテ パルス アゼル マウンテン ジュール トリビア ジャパネ センタ リード いもづる カプラー レンレン ポーザル みやこ ダンテ トックス オーラ ジョンブル

報告と調査についての現状
専門家の意見として、下記の水産庁調査船「開洋丸」の遭遇記録のように、現場レベルにおいては報告事例が存在するが、統括調査する部署が無いため、記録が散在している可能性が高い。1970年代の在日アメリカ軍の遭遇事案では、アメリカ軍上層部に板付基地周辺で目撃例を報告し、その中で、航空自衛隊や漁船からも目撃、報告があったとする報告書の存在が指摘されている。このことは一部で報道された。また、日本の元首相が某国の原潜でUFO探索ツアーに出掛けたという話もある。

UFOの分類

UFOの型
アダムスキー型
円盤型
皿型
円柱型
球型
半球型
菱型
三角形型
ブラック・トライアングル
ホワイト・トライアングル
紋章型 龍剣蛇
四角形型
ダイヤモンド型
ブーメラン型
お椀型
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2009年01月16日

後白河は天皇・神器の返還を平氏


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後白河は天皇・神器の返還を平氏に求めたが、交渉は不調に終わった(『玉葉』8月12日条)。やむを得ず、都に残っている高倉上皇の二人の皇子、三之宮(後の惟明親王)か四之宮(後の後鳥羽天皇)のいずれかを擁立することに決める。ところがこの際に義仲は今度の大功は自らが推戴してきた北陸宮の力であり、また平氏の悪政がなければ以仁王が即位していたはずなので以仁王の系統こそが正統な皇統として、北陸宮を即位させるよう比叡山の俊堯僧正を介して朝廷に執拗に申し立てた。

しかし天皇の皇子が二人もいるのに、それを無視して王の子にすぎない北陸宮を即位させるなど、皇統の永続性を大切にする朝廷が受け入れるはずもなかった。兼実が「王者の沙汰に至りては、人臣の最にあらず」(『玉葉』8月14日条)と言うように、一介の武士が皇位継承問題に介入してくること自体、後白河にすれば不快に感じたと思われる。朝廷では義仲を制するため御占が数度行なわれた結果、8月20日に四之宮(後鳥羽天皇)が践祚した。兄であるはずの三之宮が退けられたのは、後白河の寵妃・丹後局の夢想が大きく作用したという(『玉葉』8月18日条)。

いずれにしても北陸宮推挙の一件は、伝統や格式を重んじる後白河や公卿達から、宮中の政治・文化・歴史への知識や教養がまるでない「粗野な人物」として疎まれるきっかけとなるに十分だった。山村に育った義仲は、平氏一門や幼少期を京都で過ごした頼朝とは違い、そうしたものに触れる機会が存在しなかったのである。

治安回復の失敗
また義仲は京都の治安回復にも失敗した。連年の飢饉で食糧事情が極端に悪化していた京都に、遠征で疲れ切った武士達の大軍が居座ったために遠征軍による都や周辺での略奪行為が横行する。9月になると「凡そ近日の天下武士の外、一日存命の計略無し。仍つて上下多く片山田舎等に逃げ去ると云々。四方皆塞がり、畿内近辺の人領、併しながら刈り取られ了んぬ。段歩残らず。又京中の片山及び神社仏寺、人屋在家、悉く以て追捕す。その外適々不慮の前途を遂ぐる所の庄上の運上物、多少を論ぜず、貴賤を嫌わず、皆以て奪ひ取り了んぬ」(『玉葉』9月3日条)という有様で、治安は悪化の一途を辿った。京中守護軍は義仲子飼いの部下ではなく、源行家や安田義定、近江源氏・美濃源氏・摂津源氏などの混成軍であり、その中で義仲がもっとも有力だっただけで全体の統制が出来る状態になかった。

『平家物語』には狼藉停止の命令に対して、「都の守護に任じる者が馬の一疋を飼って乗らないはずがない。青田を刈って馬草にすることをいちいち咎めることもあるまい。兵粮米が無ければ、若い者が片隅で徴発することのどこが悪いのだ。大臣家や宮の御所に押し入ったわけではないぞ」と義仲の開き直りとも取れる発言が記されている。『平家物語』はこの発言を法住寺合戦の直前とするが、実際には狼藉が問題となっていた9月のことではないかと推測される。

たまりかねた後白河は19日に義仲を呼び出し、「天下静ならず。又平氏放逸、毎事不便なり」(『玉葉』9月21日条)と責めた。立場の悪化を自覚した義仲はすぐに平氏追討に向かうことを奏上し、後白河は自ら剣を与え出陣させた。義仲にすれば、失った信用の回復や兵糧の確保のために、なんとしてでも戦果を挙げなければならなかった。義仲は腹心の樋口兼光を京都に残して播磨国へ下向した。

後白河への抗議
義仲の出陣と入れ替わるように、朝廷に頼朝の申状が届く。内容は「平家横領の神社仏寺領の本社への返還」「平家横領の院宮諸家領の本主への返還」「降伏者は斬罪にしない」と言うもので、「一々の申状、義仲等に斉しからず」(『玉葉』10月2日条)と朝廷を大いに喜ばせるものであった。10月9日、後白河は頼朝を本位に復して赦免、14日には寿永二年十月宣旨を下して、東海・東山両道諸国の事実上の支配権を与える(『百錬抄』)。

そうとは知らぬ義仲は、西国で苦戦を続けていた。閏10月1日の水島の戦いでは平氏軍に惨敗し、有力武将の矢田義清を失う。戦線が膠着状態となる中で義仲の耳に飛び込んできたのは、頼朝の弟が大将軍となり数万の兵を率いて上洛するという情報だった(『玉葉』閏10月17日条))[2]。驚いた義仲は平氏との戦いを切り上げて、15日に少数の軍勢で帰京する。20日、義仲は君を怨み奉る事二ヶ条として、頼朝の上洛を促したこと、頼朝に寿永二年十月宣旨を下したことを挙げ、「生涯の遺恨」であると後白河に激烈な抗議をした(『玉葉』同日条)。義仲は、頼朝追討の宣旨ないし御教書の発給(『玉葉』閏10月21日条)、志田義広の平氏追討使への起用を要求する。

義仲の敵はすでに平氏ではなく頼朝に変わっていた。19日の源氏一族の会合では後白河を奉じて関東に出陣するという案を出し(『玉葉』閏10月20日条)、26日には興福寺の衆徒に頼朝討伐の命が下した(『玉葉』閏10月26日条)。しかし、前者は行家、源光長の猛反対で潰れ、後者も衆徒が承引しなかった。義仲の指揮下にあった京中守護軍は瓦解状態であり、義仲と行家の不和も公然のものだった(『玉葉』閏10月27日条)。